鏡に映ったじぶんの姿。そこに見たのは……

f:id:micondanshi:20210219223307p:plain「地に足がかない」 「心と身体カラダが一致しない」 「こころ此処ここにあらず」「からだがう事をきかない」――。
 精神と肉体のズレが(古来こらいより)なげかれて来たのは、様々ない回しをもって明らかです。いな、むしろ重なり合う方がマレといえるかも知れません。……

 私の(仕事をかいした)知り合いの越谷実花こしがやみはなさん(仮名)という女性ひとの話になります――。
 彼女は大学を卒業し、一般企業へ就職――と同時に、はじめて親元をはなれ(大学へは実家から通っていた)、マンションで一人暮らしをした。
 その頃の「体験」と云います……。
 社会人生活。仕事は忙しく、「新入社員」として課題も多いものの、充実した日々。その分(折角せっかくの一人暮らしですが)プライベートは少なかったようです。
 それよりも、彼女は「自宅マンション」にいるさい、ある事柄に悩まされてた。と云うのも、(その部屋に)自分一人のはずなのに、べつの存在を感じたというのです。
 すなわち、自分のみの室内へやではなく、(何処ドコかに)他人ひと息遣いきづかいがある……。
 帰宅しても、くつろげよう筈もありません。気をめて(どうにか)仕事はこなしていたが、息苦いきぐるしさも増すばかり。
「これではいけない――。」
 そう自覚ジカクするとともに、考えるほどこわくなって」きた――。
 すでに(入居後、不審フシンに思った彼女は)専門の業者ぎょうしゃに「室内の調査」を依頼たのんでもいた――が(結果として)疑わしい証拠モノはない。
 けれども(明らかな)その「感覚カンジ」。私のほかに「他人ダレか」がいる――。
 とうとう、(賃貸契約した)不動産ふどうさん会社へい合わせた――この住居すまいは、世に云う「事故ジコ物件」だったのでは。「幽霊がいるのです」と……。
 が、不動産屋も、マンションの所有主オーナーも(口をそろえて)そんな事実ジジツは「ない」――。ならばと「し」も考えたが、(幽霊が)付いて来たらと想像すると、これも怖ろしい。……
 如何どうにも解決せぬまま、(ついに)その状況が「ピーク」に達したのです。
 残業を終え、(深夜近く)実花さんは自宅マンションへ帰宅した。疲れた身体からだして、浴室バスルームに入りました。
 シャワーを浴びていると、「他人ヒトのケハイ」がことほか強くなった。「ドキッ」として、ワレ知らず(うしろの)カガミをかえります。
 そこにうつっていたのは、彼女の「後頭部こうとうぶ」でした。……
 パッと見に「あ、よかった」わたしの姿(だけ)だわ――つぎの瞬間「キャーッ」とさけんで、失神しっしんしたとか。
 ……おわかりになったでしょうか。
 原因はおそらく、世にカタられる「幽体離脱ゆうたいりだつ」――。
 人より繊細せんさいな性格で、(思春期の)記憶をさかのぼれば「心霊シンレイ関係」の体験もあると云う彼女です。
 以為おもえらく、(初めての)一人暮らしや、慣れない仕事のプレッシャーが影響して、その様な現象を起こしたのでは、と――。
 その後の彼女は、(生活に馴染なじむとともに)心身を(一つに)ち直し、この経験を話してれます。……

 が、(同類のモノで)さらに恐ろしい「体験談」があるのです。
 ――波濤紀一はとうのりかずさん(仮名)という男性。かれは(一命いちめいめたものの)ある日、重大な事故に遭遇そうぐうしました。その際の様子を物語ものがたるに、……あ、俺の背中じゃないか。
何処どこへ行くんだよ」
 ……と、思った(というのです)。
 背後ウシロから見ている先を「カラダ」は歩いて行き……(そのママ)交通クルマの行きう「車道しゃどう」へと――。

 自己ジブンの「心魂こころ」と「生身からだ」は、手を取り合っているか? そう、問いけてみた方が良いかも知れません。
 もし、「何方どっちか」が「もう一方」を離脱みはなしたら……。

橋の上から川面を見つめる女性

f:id:micondanshi:20210219223307p:plain  生きるとは「(肉体、精神の)消耗」である。その逆に、ねむりの時こそ「恢復かいふく」。ゆえに、世の中も「非活動ねむり」に近ければこそ、いやしをもたらす時間とえましょう。
 そうして、私は「恢復いやし」を求めて、夜更よふけに近所を散歩していた――。月明かりのもと草鞋クロックスのまま足は伸びて、ややもすると県境さかいめの川をまたぐ橋にまで差しかったのです。散歩と云うには(引っ返す﹅﹅﹅﹅のに)骨が折れましょう。
 時刻としては、午前零時れいじを回るだろうか……。
 すると、くびすを返そうとした矢先やさき、フッと人影が映じたのを脳髄のうずいに認識した……。
 それは、背格好せかっこうからして二十代前半ほどの女性と見えました。すなわち、「若い女性」が橋の欄干らんかんの向こう、真っ暗闇くらやみの流れるというよりうごめく夜の川面かわもを見つめている。
 この情景は何と云ったらよいでしょう。そのまま見過ごせよう後姿うしろすがたではなく、有体ありていにいって「もしや」という。
 この世への「別離わかれ」を思わせる……。
 真っ黒な川底へ身をげ込めば、着衣ふくが水を吸って四肢てあしなまりのごとく、(その意図は)足掻あがく事あたわずかなえられてしまうでしょう。
 目蓋まぶたを閉ざし、フイと立ち去るわけにも――。如何いかにすべき。一瞬、あるいは十数秒。……
 魂をで下ろした事に、ほの明るく、次第に理解される。深夜警邏トロールの警官が(この場を)通り掛かったのです。
 不安がぬぐわれる。ああ、きっと「その女性ヒト」に声をかける事だろう……。すでに真夜中、女性にとって「安全」と云えない。そのかもし出される雰囲気からは、なおのこと――。
 私はこれで、立ち去る事にしよう……。
 ところが、あんたがえて(自転車に乗った警官は)他でも無い、私のほうへチラとまなじりを向けた。その視線が物語っていた――この夜更けに、この人物は「不審者の恐れはあるか」と。
 警官の一瞥いちべつおよび、まあ﹅﹅のがして、(私のおもう)気に掛けるべきを見過ごし、先へと消える。そう、まるで「そんな女性はいない」かのように……。
 そんなヒトはいない……。
 ――ハッとした。魂魄むねかれ、そして川の冷たさを想像し、身震みぶるいした。
 その場を立ち去った。女性はそのまま、じっと川面を見つめて立ち尽くしている……。

 後日、あの橋を通り掛かり――。昼日中ひるひなか、人が「生」をいとなむ時間。(気付いてみると)矢張やはり、橋のたもとに(割合わりあいに)新しい「花束」がそなえられている。
 あの女性は、私の懸念したように「身投げする間際まぎわ」ではなく、最早もはや「なしげた」後姿だったのです。

 橋の上にじっと立つ、名も知らぬ「若い女性」。
 まったくの「赤の他人」――。
 けれども、その身によって(わたしの心は)悲しみをおぼえたのです。

ベビーカーを押して歩く老婆

f:id:micondanshi:20210214213756p:plain 魂のぬけがら――。
 こいねがわくは、一時いっときでもそのような存在になりたい。この魂のしがみ付いたカラダから自由になりたい――。
 このような夢想にとって、「銭湯通い」はうってつけとうもの。つらつら、浴槽よくそうで上げられて、その帰り道をぼうっ﹅﹅﹅と何も考えず歩みつつありました。
 すると、わたしの魂が肩を叩くのだ「まてよ」と――。
 あの角は曲がらない、何段目はまない、何となくイヤだ。誰しも(無意識の内に)何がしかをけているもの。(私にとっての)その一つがこの「いわく付き」とも云うべき小道で、魂の手綱たづなゆるめたばかりに足が通りかかってしまった。
 という他、上手うまく申し上げられません。
 ――が、「江戸時代の小地図こちず」に(すでに)この一帯が垣間かいま見え、あらゆる出来事がみ付いている。就中なかんずく「この小道」は、どうもおかしい……。魂がに落ちない。
(いや、気にするまい)
 そら、もう通り抜ける――が、あと「もう少し」に距離を感じます。
 すると、前方から「カラカラ」と小さく車輪くるまの音を立て、これも小さな人影が寄ってくる――。
 老婆なのです。こんな夜更よふけに、しかも車輪のそれは(壊れかけの)ベビーカーを押している、そこに赤んはのっていない……。
 怖気おぞけが走りました。ごく短い言葉でわたしの魂は表現した。
「あ、まずいな」
 ハッキリしませんが、この老婆は良い存在ではない。
(見てはいけない……)
 歩調を変えずに、老婆とスレ違います。ゼリー状の恐怖そのものに魂がぜられる。
 フゥッ……と、幾歩いくほか通り過ぎてから、り返ってみます。もし、「真後ろ」にいたら……。
 やはり、と云うべきか、それとも。老婆の姿は「ない」。
 そう小回りがくとも思えない、しかも「ベビーカー」を押した老婆。きゅうに曲がったり、入り込める角、らしきとびら、物陰とてもない……。
 れ違ったばかりの老婆の後ろ姿は、忽然こつぜんと消え去っていました。

 あの老婆が如何いかなる存在なのか、わかりようもありません……が、「この小道」に無関係であろうはずはなく、
「通るのを避けるべきだ」
 ――と、あらためて悟った次第しだい
 ともあれ、「Kの湯」は気に入っています。
 もう一つ、付け加えましょう。その小道にも、地域猫のらねこ棲息すんでいるものの、どれも異常に「気性があらい」。
 人により餌付えづけされながら、何をそんなに警戒するのだろう。
 あるいは、「人ならぬもの」を見ている……。

深夜の銭湯にあそぶ魂

f:id:micondanshi:20210211024536p:plain いつものように、夜遅く「Kの湯」へと向かいました――。
 そして、カラダをながし、浴槽よくそうかっていました。
 先刻さっきから、耳障みみざわりという程ではないものの、たえず「あるソプラノ」が耳元にまつわりついています。それは「子供らのさわぎごえ」なのです。
「キャッキャッ……キャッ……」
 波打ちぎわにでもいるかのように、(それらは)意識をき立てるではなく、けれども(確かに)聞こえています。
「ワァッ……キャッ……」
 ようやく、私の意識がその「騒ぎごえ」を俎上そじょうにのせて、(つまり)うるさく感じたのです。
(なんだろう……)
 子供らの声は、しきりにはしゃぎ立てます。小学生ぐらいでしょう。遠ざかり近づき、浴場を遊び場にしている。それが、明らかです。
 ふと、(みてやろう……)という気になりました。
 疲れを持て余し、「子供」へ身をのりだす意気に欠けます。かといって、無関心でもいられない。ささやかな抵抗として、「声のぬしら」を目に映そうとしたのです。
(うるさいものだな……)
 とたんに、水をうった静寂――。
 深夜近いため、(自らの他に)湯上がり間際の入浴客がいるばかり、静かなはずです。――が、(そこに)くわえて「子供らの騒ぎごえ」があったのです。浴槽から上がりがけに、いささかのぞいた洗面台の向こう側。あったはずの存在感……
(ウフッ……キャッ……)
 ――など、影も形もありません。何処いずこかへ消え去ってしまい、耳の奥に残すのみの「子供らの声」。
 しかし考えてもみれば、当然のこと。
 いくら何でも、こんな夜更よふけに「小学生ぐらいの子供」が入浴しているなど、あり得ません。
 ならば、先程までの「声」は――。
 私の背筋を、ある寒気に似たものが伝いました。湯冷めするかもしれません。

 そして、銭湯からの帰り道に「フっ」ときざしたのは、あの「子供らの声」――どこか、今の時代にかれない「音色」がなかったか。
 ひと昔、ふた昔以前(あるいは)もっと――。
 いわくいがたく、知覚するに及びました。あの何代もつづく「銭湯」へ馴染なじみのあった、いずれかの時代の「子供ら」。失われた生前のそれか、生霊いきりょうの幼い記憶か。
 あの場を懐かしんでは、魂がその遊戯ゆげするところとする――。
(キャッ……キャ……)
 頬を一筋流れるものがありました。