「地に足が付かない」 「心と身体が一致しない」 「こころ此処にあらず」「からだが言う事をきかない」――。
精神と肉体のズレが(古来より)嘆かれて来たのは、様々な云い回しをもって明らかです。否、むしろ重なり合う方が稀といえるかも知れません。……
私の(仕事を介した)知り合いの越谷実花さん(仮名)という女性の話になります――。
彼女は大学を卒業し、一般企業へ就職――と同時に、はじめて親元を離れ(大学へは実家から通っていた)、マンションで一人暮らしをした。
その頃の「体験」と云います……。
社会人生活。仕事は忙しく、「新入社員」として課題も多いものの、充実した日々。その分(折角の一人暮らしですが)プライベートは少なかった様です。
それよりも、彼女は「自宅マンション」にいる際、ある事柄に悩まされて居た。と云うのも、(その部屋に)自分一人の筈なのに、別の存在を感じたというのです。
即ち、自分のみの室内ではなく、(何処かに)他人の息遣いがある……。
帰宅しても、寛げよう筈もありません。気を張り詰めて(どうにか)仕事は務していたが、息苦しさも増すばかり。
「これではいけない――。」
そう自覚するとともに、考える程「怖くなって」きた――。
すでに(入居後、不審に思った彼女は)専門の業者に「室内の調査」を依頼でもいた――が(結果として)疑わしい証拠はない。
けれども(明らかな)その「感覚」。私のほかに「他人」がいる――。
とうとう、(賃貸契約した)不動産会社へ問い合わせた――この住居は、世に云う「事故物件」だったのでは。「幽霊がいるのです」と……。
が、不動産屋も、マンションの所有主も(口を揃えて)そんな事実は「ない」――。ならばと「引っ越し」も考えたが、(幽霊が)付いて来たらと想像すると、これも怖ろしい。……
如何にも解決せぬまま、(ついに)その状況が「ピーク」に達したのです。
残業を終え、(深夜近く)実花さんは自宅マンションへ帰宅した。疲れた身体を強して、浴室に入りました。
シャワーを浴びていると、「他人のケハイ」が事の他強くなった。「ドキッ」として、我知らず(うしろの)カガミを振り返ります。
そこに映っていたのは、彼女の「後頭部」でした。……
パッと見に「あ、よかった」わたしの姿(だけ)だわ――つぎの瞬間「キャーッ」と叫んで、失神したとか。
……お判りになったでしょうか。
原因は恐らく、世に語られる「幽体離脱」――。
人より繊細な性格で、(思春期の)記憶を遡れば「心霊関係」の体験もあると云う彼女です。
以為、(初めての)一人暮らしや、慣れない仕事のプレッシャーが影響して、その様な現象を起こしたのでは、と――。
その後の彼女は、(生活に馴染むと共に)心身を(一つに)保ち直し、この経験を話して呉れます。……
が、(同類のモノで)更に恐ろしい「体験談」があるのです。
――波濤紀一さん(仮名)という男性。かれは(一命を取り留めたものの)ある日、重大な事故に遭遇しました。その際の様子を物語るに、……あ、俺の背中じゃないか。
「何処へ行くんだよ」
……と、思った(というのです)。
背後から見ている先を「カラダ」は歩いて行き……(そのママ)交通の行き交う「車道」へと――。
自己の「心魂」と「生身」は、手を取り合っているか? そう、問い掛けてみた方が良いかも知れません。
もし、「何方か」が「もう一方」を離脱したら……。
橋の上から川面を見つめる女性
生きるとは「(肉体、精神の)消耗」である。その逆に、睡りの時こそ「恢復」。故に、世の中も「非活動」に近ければこそ、癒しを齎す時間と云えましょう。
そうして、私は「恢復」を求めて、夜更けに近所を散歩していた――。月明かりの下、草鞋のまま足は伸びて、動もすると県境の川を跨ぐ橋にまで差し掛かったのです。散歩と云うには(引っ返すのに)骨が折れましょう。
時刻としては、午前零時を回るだろうか……。
すると、踵を返そうとした矢先、フッと人影が映じたのを脳髄に認識した……。
それは、背格好からして二十代前半程の女性と見えました。即ち、「若い女性」が橋の欄干の向こう、真っ暗闇の流れるというより蠢く夜の川面を見つめている。
この情景は何と云ったらよいでしょう。その侭見過ごせよう後姿ではなく、有体にいって「もしや」という。
この世への「別離」を思わせる……。
真っ黒な川底へ身を投げ込めば、着衣が水を吸って四肢も鉛のごとく、(その意図は)足掻く事あたわず叶えられてしまうでしょう。
目蓋を閉ざし、フイと立ち去る訳にも――。如何にすべき。一瞬、あるいは十数秒。……
魂を撫で下ろした事に、仄明るく、次第に理解される。深夜警邏の警官が(この場を)通り掛かったのです。
不安が拭われる。噫、きっと「その女性」に声をかける事だろう……。既に真夜中、女性にとって「安全」と云えない。その醸し出される雰囲気からは、尚のこと――。
私はこれで、立ち去る事にしよう……。
ところが、案に違えて(自転車に乗った警官は)他でも無い、私のほうへチラと眦を向けた。その視線が物語っていた――この夜更けに、この人物は「不審者の恐れはあるか」と。
警官の一瞥が及び、まあ見逃して、(私のおもう)気に掛けるべきを見過ごし、先へと消える。そう、まるで「そんな女性はいない」かのように……。
そんなヒトはいない……。
――ハッとした。魂魄を衝かれ、そして川の冷たさを想像し、身震いした。
その場を立ち去った。女性はそのまま、凝と川面を見つめて立ち尽くしている……。
後日、あの橋を通り掛かり――。昼日中、人が「生」をいとなむ時間。(気付いてみると)矢張、橋の袂に(割合に)新しい「花束」が供えられている。
あの女性は、私の懸念した様に「身投げする間際」ではなく、最早「なし遂げた」後姿だったのです。
橋の上にじっと立つ、名も知らぬ「若い女性」。
全くの「赤の他人」――。
けれども、その身によって(わたしの心は)悲しみを覚えたのです。
ベビーカーを押して歩く老婆
魂のぬけがら――。
冀わくは、一時でもそのような存在になりたい。この魂のしがみ付いたカラダから自由になりたい――。
このような夢想にとって、「銭湯通い」はうってつけと云うもの。つらつら、浴槽に茹で上げられて、その帰り道をぼうっと何も考えず歩みつつありました。
すると、わたしの魂が肩を叩くのだ「まてよ」と――。
あの角は曲がらない、何段目は踏まない、何となく厭だ。誰しも(無意識の内に)何がしかを避けているもの。(私にとっての)その一つがこの「いわく付き」とも云うべき小道で、魂の手綱を緩めたばかりに足が通りかかってしまった。
という他、上手く申し上げられません。
――が、「江戸時代の小地図」に(既に)この一帯が垣間見え、あらゆる出来事が染み付いている。就中「この小道」は、どうもおかしい……。魂が腑に落ちない。
(いや、気にするまい)
そら、もう通り抜ける――が、あと「もう少し」に距離を感じます。
すると、前方から「カラカラ」と小さく車輪の音を立て、これも小さな人影が寄ってくる――。
老婆なのです。こんな夜更けに、しかも車輪のそれは(壊れかけの)ベビーカーを押している、そこに赤ん坊はのっていない……。
怖気が走りました。ごく短い言葉でわたしの魂は表現した。
「あ、まずいな」
ハッキリしませんが、この老婆は良い存在ではない。
(見てはいけない……)
歩調を変えずに、老婆とスレ違います。ゼリー状の恐怖そのものに魂が撫ぜられる。
フゥッ……と、幾歩か通り過ぎてから、振り返ってみます。もし、「真後ろ」にいたら……。
やはり、と云うべきか、それとも。老婆の姿は「ない」。
そう小回りが利くとも思えない、しかも「ベビーカー」を押した老婆。きゅうに曲がったり、入り込める角、らしき扉、物陰とてもない……。
擦れ違ったばかりの老婆の後ろ姿は、忽然と消え去っていました。
あの老婆が如何なる存在なのか、解りようもありません……が、「この小道」に無関係であろう筈はなく、
「通るのを避けるべきだ」
――と、あらためて悟った次第。
ともあれ、「Kの湯」は気に入っています。
もう一つ、付け加えましょう。その小道にも、地域猫が棲息でいるものの、どれも異常に「気性があらい」。
人により餌付けされながら、何をそんなに警戒するのだろう。
あるいは、「人ならぬもの」を見ている……。
深夜の銭湯にあそぶ魂
いつものように、夜遅く「Kの湯」へと向かいました――。
そして、カラダをながし、浴槽に浸かっていました。
先刻から、耳障りという程ではないものの、たえず「あるソプラノ」が耳元に纏わりついています。それは「子供らの騒ぎごえ」なのです。
「キャッキャッ……キャッ……」
波打ち際にでもいるかのように、(それらは)意識を掻き立てるではなく、けれども(確かに)聞こえています。
「ワァッ……キャッ……」
ようやく、私の意識がその「騒ぎごえ」を俎上にのせて、(つまり)煩く感じたのです。
(なんだろう……)
子供らの声は、しきりに燥ぎ立てます。小学生ぐらいでしょう。遠ざかり近づき、浴場を遊び場にしている。それが、明らかです。
ふと、(みてやろう……)という気になりました。
疲れを持て余し、「子供」へ身をのりだす意気に欠けます。かといって、無関心でもいられない。細やかな抵抗として、「声のぬしら」を目に映そうとしたのです。
(うるさいものだな……)
とたんに、水をうった静寂――。
深夜近いため、(自らの他に)湯上がり間際の入浴客がいるばかり、静かなはずです。――が、(そこに)くわえて「子供らの騒ぎごえ」があったのです。浴槽から上がりがけに、いささか覗いた洗面台の向こう側。あった筈の存在感……
(ウフッ……キャッ……)
――など、影も形もありません。何処かへ消え去ってしまい、耳の奥に残すのみの「子供らの声」。
しかし考えてもみれば、当然のこと。
いくら何でも、こんな夜更けに「小学生ぐらいの子供」が入浴しているなど、あり得ません。
ならば、先程までの「声」は――。
私の背筋を、ある寒気に似たものが伝いました。湯冷めするかもしれません。
そして、銭湯からの帰り道に「フっ」と兆したのは、あの「子供らの声」――どこか、今の時代に聴かれない「音色」がなかったか。
ひと昔、ふた昔以前(あるいは)もっと――。
いわく云いがたく、知覚するに及びました。あの何代もつづく「銭湯」へ馴染みのあった、何れかの時代の「子供ら」。失われた生前のそれか、生霊の幼い記憶か。
あの場を懐かしんでは、魂がその遊戯する処とする――。
(キャッ……キャ……)
頬を一筋流れるものがありました。